古利根川は昭和30年代に作られた「新・春日部音頭」「古利根しぐれ」にも、平成になって作られた「春日部サンバ」「心の空」にも登場します。
古利根川は江戸時代以前は利根川の本流でした。「大落」とは田で使った水を流す水路を意味します。
春日部市内にはこの川の上流から、①小渕橋、②春日部大橋(国道16号)、③新町橋(埼玉県道319号惣新田春日部線)、④古利根公園橋(埼玉県道2号さいたま春日部線)、⑤春日橋、⑥埼葛橋(国道4号)、⑦八幡橋(埼玉県道10号春日部松伏線)、⑧牛島人道橋、⑨東武野田線古利根川橋梁(春日部駅-藤の牛島駅間)、⑩ゆりのき橋(ユリノキ通り)、⑪藤塚橋、⑫古利根川橋(国道4号越谷春日部バイパス )の12の橋が架けられています。
江戸川は「庄和音頭」「庄和小唄」「新・大凧音頭」に登場します。
江戸川は1640年ごろ、人工水路として開かれた川です。新たに整備された江戸川に、物資を運ぶほかけ舟が往来するようになり、宝珠花あたりは、荷物の揚げ下ろしや船宿、呉服問屋などで栄え、有数の河岸となりました。約40キロメートル離れた江戸の町から、荷を積んで川を上ってきた船頭たちは、ここに舟を留め、体を休めたり、ぬれた帆を干したりしたといいます。『帆を干す』という音がいつしか『ほうしゅ』という音に置き換わり、漢字をあてる際に、イメージの良い『宝珠』いう字を使ったという説があります。
春日部市と庄和町の合併により、新・春日部市は2つの誇れる川を持つことになりました。
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