桐(タンス)

 

「藤音頭」「春日部サンバ」に登場します。

 

 江戸時代初期、日光東照宮を作るために集まった職人が、日光街道の宿場町である春日部に住みつき、周辺で採れるキリの木を材料とした指物や小物を作り始めたのが始まりと伝えられています。 江戸時代中頃の文献に、10人ほどの業者の名が記されています。

 

昭和29年に春日部市が誕生した当時、春日部市の産業規模は年間19億9千万円でしたが、そのうちタンス・桐材は7億9千万円と39%を占めていました。また麦わら帽子は2億2千万円であり、タンスと帽子で産業全体の50%となり、この2つの産業が春日部市を大きく支えていたことがわかります。その他の主な産業は、農産物が3億7千万円、その他工業が2億6千万円、商業関連が2千2百万円でした。

 

 昭和54年(1979年)8月、春日部桐箪笥は通商産業大臣から伝統的工芸品に指定されました。